心の名馬たち9 ツルマルツヨシ

ケガに泣いた幻のGI馬・ツルマルツヨシ


現役時代のツルマルツヨシに

僕がそこまで入れ込んでいたのかというと

そんなことはありません。

ただ、この馬が4着に入った有馬記念(GⅠ)では

その強さを存分に味わうことができました。



その有馬記念(GⅠ)とは

競馬史に残る名勝負のひとつ。

グラスワンダーにスペシャルウィーク

それにテイエムオペラオーなどの

テイストの違う名馬が集った一戦でした。



この記事を書く前に

改めて当時の有馬記念(GⅠ)を見てみました。

『これを見たら、みんな競馬が好きになるだろうな』

これがレース後の率直な感想です。

そう思える贅沢な2分半でした。



そして、その後で

すぐにツルマルツヨシのことをチェック。

すると、順調でさえあったなら

この馬がひとつの路線の頂点に輝いていた可能性も

大いにあったのではないかと感じました。



それほどまでに能力を感じさせていた

ツルマルツヨシの

僅か11戦の競走生活を振り返りたいと思います。







体質の弱さが妨げる出世の道


ツルマルツヨシがデビューしたのは

3歳(当時の表記は4歳)の5月のことだった。

ここまでレースに登場するのが遅れてしまったのは

体質の弱さゆえのことだった。



鞍上は藤田伸二ジョッキー。

この後も一戦を除いて

全てのレースで手綱を取ることになる。

このときの条件はダートの1400m戦で

後々の活躍を見れば

決して適している舞台ではなかった。



だが、それは能力の違いを持ってすれば

さして問題にするほどのことではなかったようだ。

レースではスタートから逃げの手に出ると

危なげなく押し切って

既走馬相手に初勝利を挙げた。



だが、体質の弱さがすぐに改善されるのかといえば

そう単純なことではなく

今後もツルマルツヨシとは

切っても切れない関係が続いていく。



結局、デビューしたあとも体に芯が入らずに

次に競馬場に姿を見せるまでに

半年の時間を要した。



2戦目となる500万のレースは

古馬に混じっての芝の1800m戦だった。

だが、初めての芝に戸惑ったのか

休み明けが影響したのか

このレースでは5着に負けてしまう。



しかし、中2週のローテーションで臨んだ次走で

後方追走から強烈な末脚を炸裂させて

2着に3馬身半の差つける快勝を飾った。

3歳の晩秋。

これが芝での初勝利になった。



だが、これで軌道に乗るのかというと

そう簡単に事は運ばなかった。

次走に、年明けの京都での一戦を予定していたが

右後肢にフレグモーネを発症し

出走を取り消すことになった。

ツルマルツヨシは再び休養に入った。



900万条件の身で重賞戦線に殴りこみ


結局、ターフに戻ってきた頃には

厩舎のある関西地区では

既に梅雨入りをしていた。

そのなかで、中京競馬場で行われた復帰戦を

ツルマルツヨシは疾走し

見事勝利で飾った。



好位から競馬をしたこのレースでは

2着に2馬身半、3着以下には8馬身差をつける

まさに圧勝だった。

上がり3ハロンの時計も次位を1秒も上回っており

心身ともに成長した

ツルマルツヨシの姿がそこにあった。



そのあと、クラス編成があり

再度、900万条件(現1000万)に

身を置いていたが

陣営は2階級上のオープンのレースに

挑戦することを決める。

それも重賞。

当時は1800mだった北九州記念(GⅢ)である。



ハンデ戦だったこともあり

51㎏という最軽量のハンデだったことと

前走の圧倒的なパフォーマンスが評価されたのか

14頭立ての3番人気に支持される。



レースでは中団を追走し

長くいい脚を使って3着と好走した。

初めてのメインレースで

ツルマルツヨシは堂々とした走りを披露した。



このレースで重賞に入っても

差のない競馬ができるということを証明すると

次走でも引き続き重賞戦がターゲットとなった。

秋の阪神競馬の開幕週を飾る

朝日チャンレンジカップ(GⅢ)である。



ここでツルマルツヨシは

研いだばかりの刀のような

スパッと切れる末脚を披露して

見事に重賞初制覇を遂げる。



3コーナー過ぎから直線にかけては

動くに動けない位置取りで

一旦は、ポジションを下げてしまったが

前が開くとその切れ味が遺憾なく発揮された。



人気を集めていたメイショウオウドウや

前走の北九州記念(GⅢ)で敗れた

エイシンビンセンスらを相手にしない

非常にインパクトのある走りだった。



一流馬を蹴散らした京都大賞典(GⅡ)


大事に使われながら力をつけて

ツルマルツヨシは少しづつ

その素質の片鱗を見せはじめた。

次のレースは京都大賞典(GⅡ)に決まった。

だが、このレースでは

いくつもの課題が立ちはだかった。



まず、1つ目は距離だった。

7冠馬の父・シンボリルドルフの血を

受け継いでいるとはいえ

初めての2400mで

その切れ味が活かせるかどうかは疑問だった。



次に、2つ目は斤量だ。

北九州記念(GⅢ)のときが51㎏

朝日チャンレンジカップ(GⅢ)では

54㎏だったものが

今回は初めてとなる57㎏に増えていた。



そして、3つ目は

あまりにも豪華過ぎる一流のメンバーたちだった。



1.8倍の1番人気は

日本ダービー(GⅠ)と天皇賞・春(GⅠ)を制した

スペシャルウィーク。

前走の宝塚記念(GⅠ)では

グラスワンダーの後塵を拝したものの

3着以下には7馬身という決定的な差をつけていた。



続く2番人気がメジロブライト。

天皇賞・春(GⅠ)以来の休み明けになるものの

そこではスペシャルウィークに

半馬身差という接戦を演じていた。



そのあとが3歳馬のテイエムオペラオー。

皐月賞(GⅠ)優勝、日本ダービー(GⅠ)3着と

世代の中心の1頭として力を示していた。

この3頭が単勝10倍以下のオッズだった。



ツルマルツヨシは離れた4番人気。

ただ、それより下位人気の馬の中にも

ここまでGⅠで2着3回、3着2回

という実績を誇るステイゴールドや

重賞4勝のローゼンカバリーなどが名を連ね

10頭立てとは思えない濃密な組み合わせだった。



スタンド前でゲートが開いた。

内から先手を奪ったのは

上がり馬のミスズシャルダン。

この馬が作ったペースは

前半の1000mが62秒2というスローペース。

この流れもあってかツルマルツヨシは

道中3、4番手のポジションで競馬をしている。



スペシャルウィークは前にいて

テイエムオペラオーが中団

メジロブライトは後方よりと

有力馬は思い思いの位置取りで競馬をしていた。



ほぼ一団の馬群が

3コーナーにかけての坂を上り切る。

このあたりからペースが速くなった。



先行2頭を見る形で

スペシャルウィークは外目の3番手の位置をキープ。

ツルマルツヨシは好位のインで我慢している。

その外にピタッとテイエムオペラオーが並んで

外のステイゴールドは

盛んにジョッキーの手が動き始めた。

メジロブライトは依然後方の内側にいるが

先頭までは4馬身ほどしかない。



直線に向いて、粘りこみを図る

ミスズシャルダンとブリリアントロードの間に

ちょうど1頭分の進路ができた。

そこに突っ込んでいったのがツルマルツヨシだった。

この2頭をなんなく交わして先頭に躍り出る。



スペシャルウィークは喘いでいた。

武豊ジョッキーのステッキに応えることができず

みるみるうちに後方に離されていく。



残り200mを切って

内ラチ沿いからメジロブライトが脚を伸ばしてきた。

さらに、外からはテイエムオペラオーが

猛然と迫ってくる。



だが、ツルマルツヨシには追いつきそうにない。

結局、これらの追撃を

3/4馬身ほど振り切ったツルマルツヨシが

先頭でゴールを駆け抜けた。



強い内容だった。

新たなスターの誕生かもしれない

ツルマルツヨシが頂点に立つのかもしれない

そんな風に思わせるだけの走りだった。



ちなみに、この京都大賞典(GⅡ)が行われる少し前

同時開催の東京競馬場では

毎日王冠(GⅡ)が行われていた。



1.2倍という圧倒的な1番人気に推されていた

グラスワンダーが

残り100m付近で先頭に立ち

押し切って勝利するも

これに外から馬体を合わせて

ハナ差2着に突っ込んできた馬がいた。



その馬は、前走の朝日チャンレンジカップ(GⅢ)で

ツルマルツヨシに敗れた

メイショウオウドウだった。



グラスワンダーとスペシャルウィーク。

当時の古馬中距離路線の中心だった2頭を

秋初戦で苦しめたのは

朝日チャンレンジカップ(GⅢ)の

1、2着馬だったのだ。



跳ね返されたGIの壁


並み居る強豪を相手に

完勝といってもいい走りを見せたツルマルツヨシ。

当然、次の目標はGⅠレースだった。

初めての東京競馬場。

次走は天皇賞・秋(GⅠ)に決まった。



ただ、この頃になっても

ツルマルツヨシの体質の弱さは

改善されていなかったようだ。

そんななかでの中2週の関東遠征。

陣営の不安は大きかったに違いない。



迎えた天皇賞・秋(GⅠ)当日。

ファンはツルマルツヨシを

セイウンスカイに次ぐ2番人気に評価する。

ただ、東京の2000mという舞台で

17頭立ての17番枠という

非常に厳しい枠順でのレースになった。



結果は8着。

これがGⅠなのか。

それとも体調がすぐれなかったのか。

中団を追走したツルマルツヨシは

最後の直線で見せ場すら作れずに敗れ去った。



このレースで1、2着に入ったのは

前走の京都大賞典(GⅡ)で

それぞれ7着、6着と崩れ

4番人気と12番人気という低評価に甘んじていた

歴戦の強者たち

スペシャルウィークとステイゴールドだった。



有馬記念(GⅠ)で見せた壮絶な叩き合い


連戦が続いていたツルマルツヨシは

僅かばかりの休養を与えられたが

すぐに戦闘モードに入らなければならなかった。

次の舞台は、年の瀬の有馬記念(GⅠ)。

あの、4頭の壮絶な追い比べになった

1999年12月26日の一戦である。



主役となる4頭は

天皇賞・秋(GⅠ)、ジャパンカップ(GⅠ)を制し

この年の秋競馬の主役を務めたスペシャルウィーク。

そのスペシャルウィークを

直接対決となった宝塚記念(GⅠ)で

完膚なきまでに倒したグラスワンダー。



次代を担う存在で

走る度に力をつけてきたテイエムオペラオー。

そして、GⅠは未勝利といえども

潜在能力は決して見劣らない

ツルマルツヨシである。



3コーナーのスタート地点で各馬の態勢が整う。

ゲートが開いた。

逃げ馬不在のこのレースで先導役を買って出たのは

不利な外枠のゴーイングスズカ。

芝のレースで逃げの手に出たのは

後にも先にもこのときの有馬記念(GⅠ)しかない。



そんなゴーイングスズカの逃げだから

ペースも上がらない。

道中は、12秒台半ばから13秒台前半のラップが続く

だらだらとした流れになった。



4コーナーを回って一周目のスタンド前へ。

馬場の荒れた内側を嫌って

外々を回りながらダイワオーシュウが2番手。

直後に、前走で菊花賞(GⅠ)を勝った

ナリタトップロードが追走している。



テイエムオペラオーはその3馬身ほど後ろの

好位の外目を回っていて

直後を名脇役・ステイゴールドが追走。

これらを見る形でツルマルツヨシは

中団でスムースに流れに乗っていた。



グラスワンダーは後方よりに構えている。

これは、いつもよりも後ろからの競馬だった。

スペシャルウィークはというと

最後方でじっくりと乗られ

グラスワンダーの背中だけを見ているようだった。



隊列に動きのないまま

2コーナーを回って向正面へ。

スローペースのために

かかり気味の馬が何頭かいるが

ツルマルツヨシには力みが一切見られない。



ペースが上がってきた3コーナーの手前

スペシャルウィークが外を回って

グラスワンダーの直後までポジションを上げてきた。



残り600m。

馬なりのままグラスワンダーが

ツルマルツヨシの外に並びかけてきた。

これに呼応して藤田ジョッキーの手が動くと

ツルマルツヨシにスイッチが入った。



その内では、手応えこそ見劣るものの

テイエムオペラオーもこれらに続いていく。

スペシャルウィークは変わらずに

グラスワンダーの背中だけを見ている。



4コーナーを回り切って、最後の直線へ。

内々を回って懸命に粘るゴーイングスズカを捉えて

先頭に踊り出たのはツルマルツヨシだ。

そこへ外からグラスワンダーが

再び並びかけようとする。

これを目掛けて内からテイエムオペラオー

大外からはスペシャルウィークが突っ込んできた。



坂の上りでツルマルツヨシが

グラスワンダーを突き放す。

強い。

あと100。

だが、ここからが苦しい。



スペシャルウィークの勢いがいい。

そして、テイエムオペラオーもエンジン全開だ。

この2頭の間にいたグラスワンダーも

負けじとまた伸びてくる。

残り30m付近では、4頭が横一列。

あとは必至の追い比べ。壮絶な叩き合い。

大激戦のままゴールを駆け抜けていった。





ツルマルツヨシは惜しくも4着だった。

だが、凄い馬たちと凄いレースをした。

ツルマルツヨシがあそこまで頑張ったからこそ

この有馬記念(GⅠ)は

名勝負と呼ばれるレースになったとも言える。



だが、悔しい敗戦だった。

最後の最後で力尽きた内容を見ると

距離の適性とか能力云々というよりは

経験の差が出たようなゴール前だった。



それにしても、レースが終わっても

しばらく余韻に浸っていたくなるような

そんな素晴らしいレースだった。



コースでは、勝利を確信しウイニングランをしていた

スペシャルウィークの武豊ジョッキーが

スタンドに向かって拳を握った。

その瞬間、大きな『ユタカ』コールが

中山競馬場を包んだ。



だが、検量室前で馬を止めようとしたところ

場内で大歓声が沸き起こった。

着順掲示板の1着欄には

グラスワンダーのゼッケン[7]が灯っており

一転、今度は『的場』コールが轟いた。

最後までドラマのある有馬記念(GⅠ)だった。



来年はこの馬の時代が来る


『来年はこの馬の時代がくる』

そう言われたのはテイエムオペラオーだったが

ツルマルツヨシにも充分にその資格があった。

だが、ツルマルツヨシにとって有馬記念(GⅠ)は

持っている能力の全てを

ぶつけられたレースだったのだろう。



翌年、テイエムオペラオーが

期待に違わぬ(想像を超える)成長を見せ

連戦連勝を記録していく一方で

ツルマルツヨシは繋靱帯炎を発症し

レースに出走することすらできなかった。



雪がやみ、桜は散り、蝉の鳴き声も聞こえなくなった頃

ようやくツルマルツヨシは戦列に戻ってくる。

舞台は、9ヶ月半ぶりとなる

京都大賞典(GⅡ)だった。



人気は2頭の4歳馬が分けあっていた。

王者として君臨していたテイエムオペラオーと

そのライバルの1頭・ナリタトップロードだ。

ツルマルツヨシは

2頭から大きく離れた3番人気。



レースでは、テイエムオペラオーを内に見る形で

好位の外目で競馬をしていたが

勝負所での反応が今ひとつで

勝ったテイエムオペラオーからは

5馬身ほど離された6着に敗れる。



長休明けを考えれば仕方のない結果だが

果たして、いい頃のツルマルツヨシの走りが

戻ってくるのかどうかに

疑問が残る内容でもあった。



最後のレースとなった有馬記念(GⅠ)


このあとも脚に不安があったのかもしれない

調整が思うように進まなかったのかもしれない

良化がスローだったのかもしれない



次走には、天皇賞・秋(GⅠ)でもなければ

ジャパンカップ(GⅠ)でもなく

年末の有馬記念(GⅠ)が選ばれた。

陣営はここでもきっと

期待よりも不安の方が大きかったはずだ。



それでもファンはツルマルツヨシを信じていた。

前走内容や臨戦過程など

心配材料が多かったにも関わらず

昨年を上回る4番人気に支持した。

1枠1番という好枠も後押ししたのかもしれない。



人気の中心はテイエムオペラオー。

これを筆頭に4歳勢が上位人気を占めた。

この年のGⅠレースで

実に3度もテイエムオペラオーの2着に入っている

メイショウドトウに

3歳時から覇を競ったナリタトップロードだ。



ミレニアムのクリスマスイブ。

何かがが起こりそうな

有馬記念(GⅠ)のゲートが開いた。



まず、内側から押して先手を奪ったのは

ツルマルツヨシと同じ年のジョービッグバン。

2走前の宝塚記念(GⅠ)では

僅差の3着に入った馬で

ここも再現を狙っていた。



昨年の有馬記念(GⅠ)で逃げた

ゴーイングスズカが2番手で

マチカネキンノホシ、アメリカンボスなどが

これに続いた。

ただ、各馬が牽制し合うような形で

ペースが上がらないまま

1周目のゴール板前を通過していく。



ナリタトップロードは好位のインコース。

メイショウドトウは中団の後ろよりにいて

その内側にツルマルツヨシがいる。

テイエムオペラオーは後方に控えていた。

その内でステイゴールドがこれをマークして

1コーナーから2コーナーに入る。



向正面の中ほどにかけてペースが上がってきた。

ナリタトップロードは進路を外に切り替えて

いつでも前に上がっていけるポジションを取った。

このときの鞍上は

前年にグラスワンダーを勝利へ導いた

的場均ジョッキーだ。



ツルマルツヨシは中団の馬群の中にいる。

その外側からメイショウドトウが

じわっと上がっていく。

テイエムオペラオーは変わらずに後方のまま。



3コーナーへと向かって

逃げるジョービッグバンに並んでいったのは

前走のステイヤーズステークス(GⅡ)に勝って

重賞ウイナーの仲間入りを果たしたホットシークレット。

ナリタトップロードが外の3番手まで上がってきた。

その後ろでやけに手応えがいいのは

この年だけで重賞3勝の7歳馬ダイワテキサス。



中団にいるメイショウドトウは

安田ジョッキーの手が激しく動いているが

反応が良くない。

テイエムオペラオーは後方で動くに動けないでいる。

ツルマルツヨシはというと

さらにその後ろに下がってしまっている。



4コーナーを回る。

外の2頭が先頭に並んでいった。

ナリタトップロードとダイワテキサスだ。



最後の直線。

先に抜け出したのは伏兵ダイワテキサスだ。

ナリタトップロードは

これに抗うことができずに早々に脱落。



外から追ってきたのは

スイッチが入ったメイショウドトウ。

そして、間からは

いつの間に差を詰めてきたのか

テイエムオペラオーがグングンと伸びてきた。

だが、そこにツルマルツヨシの姿は

見つけることができなかった。



結局、テイエムオペラオーがハナ差だけ

メイショウドトウを競り落として優勝。

ダイワテキサスが3着と健闘した。



ツルマルツヨシはゴールに辿り着くことができなかった。

競走を中止した原因は繋靱帯炎によるものだった。

前年の有馬記念(GⅠ)以来

悩まされてきたケガだったが

今回のものは比較にならないほど重いもので

競走能力喪失、現役引退という現実が

関係者につきつけられた。



この繋靱帯炎は

父・シンボリルドルフをも引退に追い込んだケガで

親子揃って同じケガに泣くことになった。

結局、ツルマルツヨシは頂点に立つことができずに

その競走馬人生を終えた。



体質の弱さがなかったら

脚元がパンとしていれば

ツルマルツヨシがどういった競走馬に

なっていたのかはわからない。

だが、そんな「たられば」は通用しないのが競馬界だ。



それでも、2つの重賞を制したときに見せた

あの抜け出すときの一瞬の切れのある末脚は

見ている者に凄みを感じさせた。

説得力のある走りに

誰もが非凡な能力を見たに違いない。

競馬界の主役になることはできなかったが

その走りは必ずや今後も語り継がれていくはずだ。







その後のツルマルツヨシ


ツルマルツヨシは引退後

実績(GⅠ未勝利)や血統面から

種牡馬入りが見送られ

京都競馬場で誘導馬になりました。



しかし、繋靱帯炎や元来の体質の弱さもあり

一時、馬体重が100㎏近くも落ちてしまいました。

そのため誘導馬として活躍し始めるまでには

1年半近くを要したそうです。



そして、誘導馬を引退した現在は

宮崎県にあるカウボーイアップランチで

余生を送っています。



この引退後については

※「ツルマルツヨシの会」の

オフィシャルブログに載っていたものを参考に

書かせてもらいました。



ツルマルツヨシのことを

もっと詳しく知りたいという方は

覗いてみるといいかと思います。

ツルマルツヨシの会




ツルマルツヨシが輝いていた時代のレースを

久しぶりに観ることができて

なんだか嬉しくなりました。

15年も前の僕が『強いな』と感じた馬を

今の僕も『強いな』と思う。

うまく表現できないですが

なんだかこういうのっていいですよね(^ ^)





※最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


一競馬ファンが偉そうなことを言ってしまい

気分を害された方もいるかと思います。

もし、そうでしたら謝ります。失礼しました。



しかし、ツルマルツヨシのファンだからこそ伝えたいこと

書き残しておきたいことがあったのも事実です。

このブログを読んで

少しでもツルマルツヨシに

魅力を感じていただけたなら嬉しいです。

もしよろしければ、コメントをいただけると幸いです。

どうもありがとうございました。


はるかなる。





★はるかなる。の人生ゴボウ抜き!!★は

毎日20時30分~21時頃に更新しています。




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2 Responses to “心の名馬たち9 ツルマルツヨシ”

  1. モリバー より:

    はるかなる。さん今晩わです。
    電車で拝見したのが失敗でした。
    恥ずかしながら52歳、妻子持ち、会社では偉そうにしてますが、拝見してる途中、感動で涙ぐんでしまった。

    またはるかなる。さんの競馬、否、競走馬を始めとする参加する全てへの愛情を感じます。ありがとうございます。

    • はるかなる。 より:

      モリバーさん、こんにちわ。
      コメントありがとうございます。

      時間をかけて書いたものなので
      じっくりと読んでいただけて嬉しいです。
      ツルマルツヨシの魅力を伝えられて良かったです(^^)

モリバー にコメントする

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