心の名馬たち(7) ルースリンド

南関競馬の中長距離路線で欠かせない一頭・ルースリンド


ルースリンドというと

大井の重賞でいつも上位に食い込んでいた印象がある。

帝王賞(JpnⅠ)や東京大賞典(GⅠ)といった

JRAの一流馬が一同に会す一戦では

掲示板に顔を出すのが精一杯だったが

金盃(SⅢ)、東京記念(SⅡ)、

大井記念(SⅡ)といった

中長距離の重賞レースとは非常に相性が良く

この3つの競走では

あわせて(3,5,0,2)の成績を残している。



そんなルースリンドの走ったレースで

僕が個人的に印象深いのも

上記の相性の良いレースのうちの3つのレースだった。

今回は、それらを中心に振り返りながら

ルースリンドの作った軌跡を辿ってみたい。



JRAから船橋競馬へ


3歳の2月。

JRAに所属していたルースリンドは

中山競馬場でのデビュー戦を6着で終えた。

その後、芝・ダート合わせて9つのレースを走るも

2着が最高で勝利には恵まれないまま

3歳の秋に、美浦の上原博之厩舎から

船橋の矢野義幸厩舎に移籍した。



この南関競馬への移籍が

ルースリンドに光を当てることになる。

名手・佐藤隆ジョッキーとのコンビで出走した

移籍初戦となる3歳の特別戦を6馬身差の圧勝で飾り

自身の初勝利をあげると

その後は、無理なく月に一度の地元開催を使われ

10戦8勝、2着3着が1度ずつという好成績を積み重ね

着実にステップアップしていく。

レースぶりは、はじめこそ能力の違いによる先行策だったが

徐々に末脚を活かす競馬にシフトしていった。



4ヶ月の休み明けとなった次走は

初めての遠征競馬となる大井での交流戦だったが

JRA勢を問題にせず勝利をあげると

続く川崎戦も制して

勢いを持って、初めての重賞に挑むことになった。

その舞台は、区切りの50回目となる金盃(SⅡ)で

移籍から13戦目のことだった。



重賞初挑戦・メイプルエイトに挑んだ金盃(SⅡ)


ここは、好メンバーが揃っていたこともあり

5番人気という評価に甘んじることになったが

53㎏の軽量で挑むルースリンドは

挑戦者の立場ながらも大きな可能性を秘めていた。



レースは波乱の幕開けとなる。

前年のジャパンダートダービー(JpnⅠ)で3着に入り

そのあと重賞を連勝していた

1番人気のボンネビルレコードが

スタート直後に、両サイドの馬に挟まれるような形になり

後方からの競馬を強いられることになる。



先手を奪ったのは

2番人気に支持されていたトウケイファイヤー。

距離問わず堅実に走る馬だった。

ダートでは、15戦10勝のインターセフォーが

2番手でこれを追いかける。

その後ろには、一時期のスランプから脱して

再び軌道に乗ってきたベルモントストームが続く。



外を回るのは前年のクラシック三冠で

いずれも2着という悔しい競馬が続いた

3番人気のメイプルエイトで

上位人気馬は先行グループで流れに乗っていた。

そんな中で、ルースリンドは中団を追走している。



隊列に大きな変化のないまま

流れは3コーナーから4コーナーへ。

佐藤隆ジョッキーの仕掛けに

ルースリンドが外を回ってポジションを押し上げていく。



最後の直線に向くと

苦しくなった先行勢を捕らえて

メイプルエイトが一気に先頭に出る。

これに、外からルースリンドが迫るが

その差は詰まりそうで詰まらない。

結局、最後は現時点での力差を見せつけて

メイプルエイトがルースリンドを3/4馬身振り切って

1着でゴールを駆け抜けた。

終始、内を回ったベルモントストームが

ジリジリと脚を伸ばして3着入線。



惜しくも重賞初挑戦での

タイトルゲットはならなかったものの

ルースリンドにとって

今後の展望が明るくなる2着だった。

勝ち馬メイプルエイトは

1つ下の世代の中心馬の1頭なのだから

充分に胸を張れる結果だった。

さらに、レース後のジョッキーのコメントを見ると

落鉄していたということだったので

タイトルゲットのチャンスは近そうに感じられた。



佐藤隆ジョッキーの死と初重賞制覇


その後、ルースリンドは

南関所属馬唯一の参戦という形で

交流重賞のダイオライト記念(JpnⅡ)に向かう。

ここで、JRAの一流馬と初めて戦うことになったが

勝ち馬・ヴァーミリアンから3秒以上離される完敗を喫し

休養に入ることになった。



ルースリンドは、転入当時から脚に不安を抱えていたようで

特にトモが弱かったという。

その脚に対するケアにも時間がかかり

休養期間は長くなった。

この脚部不安とは

この後もずっと付き合っていくことになる。



出走取消も挟んで、再び競馬場に姿を表したのは

翌年の4月のことだった。

それでも、ルースリンドは

長休明けとなった地元の船橋戦で2着に入り

変わらない走りを披露した。



ただ、変わったことがひとつだけあった。

常に、ルースリンドの背中にいた

佐藤隆ジョッキーの姿がそこにはなく

石崎隆之ジョッキーが跨っていたことだ。



2006年4月25日。

浦和競馬場でレースに騎乗していた佐藤隆ジョッキーは

騎乗馬の故障によって落馬し、頭部を強打。

頭蓋骨骨折、脳挫傷などで重体となり

手術後も意識が戻らない状態が続いていた。

同年8月8日、午後11時23分。

一度も意識が戻ることなく、亡くなった。



生前、ルースリンドを管理していた矢野調教師に対し

『この馬で、厩舎に初重賞タイトルをもたらしたい』

と話していたというが

残念ながらそれは叶わなかった。



だが、ルースリンドはその思いに応えて

矢野調教師に重賞初制覇をもたらす。

大井記念(SⅡ)2着から臨んだ

川崎のスパーキングサマーカップ(SⅢ)で

2着のキングスゾーンに3馬身差をつける完勝だった。

移籍から3年近くが過ぎた6歳の夏の夜のことで

佐藤隆ジョッキーが亡くなられてから

1年近い月日が流れていた。





晩成の血が開花してきたのだろう。

秋には、果敢に交流重賞に挑んでいく。

JBCクラシック(JpnⅠ)では

またしてもヴァーミリアンの5着に敗れるが

その差は1.3秒差にまで縮まった。

続く浦和記念(JpnⅡ)では

シーキングザダイヤにクビ差と迫る2着。

さらに、東京大賞典(JpnⅠ)でも4着と走り

その存在感を大きくしていった。



年が明けて金盃(SⅡ)では

この実績が評価され

1.3倍という圧倒的な支持を獲得し

それに応えて、2つ目のタイトルを獲得する。

この年は、秋に大井記念(SⅡ)も制し

南関の重賞路線には無くてはならない1頭として

足場を確立していった。



バグパイプウィンドを迎え撃つ、3度目の金盃(SⅡ)


2009年2月18日。

8歳になったベテラン・ルースリンドは

自身3度目の金盃(SⅡ)に挑戦する。

ハンデ戦だった3年前は、53㎏を背負って2着。

別定戦になった昨年は、56㎏で優勝。

そして今年は、57㎏を背負っての一戦だった。



1番人気は、14戦12勝という圧倒的な成績で

これが初重賞となる5歳馬のバグパイプウィンド。

53㎏で出走する今回は

ルースリンドの重賞初挑戦の時と同じ斤量だった。

2番人気が重賞の常連として活躍していた

同じく5歳のクレイアートビュン。

これに続く3番人気がルースリンドだった。



他にも、ダービークランプリ(JpnⅠ)の覇者で

南関移籍後の2戦目となるマンオブパーサーと

ユニコーンステークス(GⅢ)覇者の

ナイキアースワークという

2頭の元JRA所属の6歳馬や

長距離重賞で活躍していた

7歳のマズルブラストが名を連ねた。

4歳勢からは、前年の東京ダービー(SⅠ)馬の

ドリームスカイと

東京湾カップ(SⅢ)と黒潮盃(SⅡ)に勝った

ギャンブルオンミーの姿があった。



16頭のゲートが開いた。

ほぼ横並びのスタートとなった。

何が行くのかと思われたが

大外から、ジョッキーが鞭を振るって

9歳馬のコアレスデジタルが果敢にハナを叩いていった。



縦長になった隊列が1コーナーを過ぎ

2コーナーへと向かっていく。

リードを4馬身に広げたコアレスデジタルが

軽快に飛ばしていく。

単独の2番手がナイキアースワークで

その後ろに、マンオブパーサーと

マズルブラストが続いている。



人気のバグパイプウィンドは

ギャンブルオンミーと並んで好位をキープ。

クレイアートビュンは中団の後方よりになって

ルースリンドは後ろから3頭目に控えて

息を潜めていた。



3コーナーにかかって

先団から中団までがひとつの塊になる。

苦しくなったコアレスデジタルを交わして

ナイキアースワークが早めに先頭に立ち

マンオブパーサーがこれに続く。

バグパイプウィンドも外を回って

直後まで上がってきた。

ルースリンドは大外から動いて、中団に取り付いた。



直線の入り口で先頭に出たマンオブパーサーに

一完歩ずつバグパイプウィンドが迫ってきた。

200mを過ぎて2頭の馬体があった。

この争いを見ながら

その後ろからようやくルースリンドも伸びてきた。



あと100m。

マンオブパーサーを振り切ったバグパイプウィンドが

最後の力を振り絞る。

これに、猛然とルースリンドが襲い掛かる。

だが、最後は4㎏の斤量差と

上がり馬の勢いが勝ったのか

バグパイプウィンドがクビ差凌いで

1着でゴールに飛び込んだ。



惜しい2着だった。

だが、8歳になっても変わらない走りで

ルースリンドは駆けている。

結果として負けてしまったことは確かだが

それでも、まだ若いバグパイプウィンドに

『重賞を勝つのは、今までのように楽なことではないぞ』

と教えているかのような厳しい走りだった。



若きセレンを受け止めた東京記念(SⅡ)


金盃(SⅡ)以降は、3戦続けて完敗続きで

その中でも大井記念(SⅡ)では6着に敗れ

交流重賞以外では、初めて馬券圏外に飛んでしまう。

年齢もあってか、やや精彩を欠いたものの

それでも、初めてタイトルを手にした舞台で

復調を予感させる走りを披露する。

それは、夏のスパーキングサマーカップ(SⅢ)で

59㎏を背負いながら2着に追い込んできた。

その末脚には、まだまだらしさが感じられた。





次戦には、10月の東京記念(SⅡ)が選ばれた。

先の金盃(SⅡ)で敗れた

バグパイプウィンドが人気の中心だった。

ここまでの対決では、3戦3敗と分が悪いが

能力差があるようには感じられない。

意地を見せて欲しい一戦だった。



2番人気はセレン。

堅実な差し脚を武器に、勢いに乗っている上がり馬で

ここが重賞初挑戦。

鞍上に、石崎隆之ジョッキーを迎えてからは

3着を外したことのない馬で

このコンビでどこまで強くなるのかが楽しみな馬だった。

ルースリンドは、差のない3番人気でこれに続いた。



レースは予想通り

ゴールドイモンの逃げで始まった。

後続を引き離して逃げるかに思われたが

すぐにペースを落として後続を引きつける。

バグパイプウィンドが早めの3、4番手の位置取りで

ルースリンドはその後ろのインコース。

セレンはほぼ最後方から競馬を進めていた。



前半の1000m通過が67.1秒という

誰の目にもわかるスローペースになった。

これを見越してセレンが中団まで上がってくる。

充分に余力を残していたゴールドイモンが

残り1000mから急速にペースアップ。

レースを動かし始める。

バグパイプウィンドは楽な感じで外から

ルースリンドは鞭を振るって内から

セレンはその後ろから虎視眈々と

ポジションを押し上げていく。



最終4コーナー。

常に内を回っていたルースリンドが

一歩外に開いて、すっと前に上がってきた。

バグパイプウィンドは、これに反応できない。



直線に向いて、手応えが怪しくなった

バグパイプウィンドがもたついている所に

その外に出したセレンが一気に差を詰めてきた。

前の2頭の争いは

ルースリンドが残り200m手前で

しぶとく粘るゴールドイモンを交わして先頭に立つ。

懸命にセレンが追いすがるが

その差はなかなか詰まらない。

結局、最後まで止まらずに伸びたルースリンドが

2番手に上がったセレンを1馬身ほど振り切って

同レース連覇を達成した。



この勝利は鞍上の内田博幸ジョッキーが

最高にうまく乗ったことが大きい。

佐藤隆ジョッキーとの死別以来

ルースリンドの背中には7人のジョッキーが跨った。

しかし、勝った4つのレースでコンビを組んだのは

いずれも内田博幸ジョッキーだった。



ルースリンドという1頭のサラブレッドの

下絵を書いた佐藤隆ジョッキーと

それに色付けをした内田博幸ジョッキー。

この2人と巡り会えたことが

ルースリンドの競馬人生を変えたと言っていいだろう。



それにしても、脚元に不安を抱えながら

8歳の秋に、このパフォーマンスを見せてくれるのだから

本当に力のある馬だと思う。



引退レースに立ちはだかるセレン


1年後の東京記念(SⅡ)。

引退レースに臨むルースリンドは

近走の不振もあって7番人気の評価だった。

この時の1番人気は、昨年の2着馬セレンで

単勝1.4倍という圧倒的な人気だった。



セレンは、昨年の東京記念(SⅡ)に敗れた後

すぐに重賞を連勝。

その勢いで挑んだ東京大賞典(JpnⅠ)でも

勝ち馬・サクセスブロッケンから

0.3秒差の4着と健闘していた。



最後のゲートが開いた。

ルースリンドは、セレンを意識したような乗り方で

2頭は同じようなポジションでレースを進めた。

直線では内に入ったセレンと

外を回ったルースリンドの一騎打ちになったが

本格化していたセレンの

抜け出すときの一瞬の脚は凄まじく

あっという間に4馬身の差をつけられてしまった。

それでも2着という結果を残し

最後の最後までこの馬らしい存在感を示してくれた。



その存在感は、決して一流馬特有の

華やかなものではなかったかもしれない。

だが、名脇役としての、

いぶし銀としての、苦労人としての

魂のこもった走りでレースを沸かせてくれた。

こういう存在感のある馬が駆けた時代は

思い出したときに、温かい気持ちになることが多い。



いろいろな人に夢を与えたルースリンド


ルースリンドは、1600m~2400mの

さまざまな距離で重賞を4勝し

常に、可能性を感じさせてくれた馬でした。

大井の重賞では

メイプルエイトとの重賞初制覇を懸けた金盃(SⅡ)。

バグパイプウィンドに胸を貸した東京記念(SⅡ)。

そして、セレンに立ちはだかった

翌年の東京記念(SⅡ)。

たくさんの名勝負を繰り広げました。



そして、1番人気では13回中12回で1着になり

ファンの支持にしっかりと応えてくれる馬でした。

さらに、本文にも書いたように

矢野義幸調教師に初重賞をプレゼントし

それと同時に

佐藤隆ジョッキーの最後の夢も叶えました。



そんな風にいろいろな人に

夢を与えてくれたルースリンドは

2011年度から種牡馬入りし

今年(2014年)、新馬がデビューを迎えます。

早逝した父・エルコンドルパサーの後継として

新たな夢を届けてくれる日も近いでしょう。



※追記:父と同じく矢野義幸厩舎に所属の

    ストゥディウムが勝ち上がり第1号になり

    この年、重賞2勝を挙げる活躍を見せました。




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※最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


一競馬ファンが偉そうなことを言ってしまい

気分を害された方もいるかと思います。

もし、そうでしたら謝ります。失礼しました。



しかし、ルースリンドのファンだからこそ

伝えたいこと、書き残しておきたいことが

あったのも事実です。

このブログを読んで

少しでもルースリンドに

魅力を感じていただけたなら嬉しいです。

もしよろしければ、コメントをいただけると幸いです。

どうもありがとうございました。


はるかなる。





★はるかなる。の人生ゴボウ抜き!!★は

毎日20時30分~21時頃に更新しています。




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2 Responses to “心の名馬たち(7) ルースリンド”

  1. だんさく より:

    ルースリンドの足取りがよくわかる良記事ですね。

    エルコンファンだったので佐藤騎手最後の手綱となったダイオライト記念は現地で観戦しました。同じエルコン産駒でもヴァーミリアンとルースリンドはまったく素性の異なりますが、ともに挫折から再び這い上がり顔を合わせたことが嬉しくて2頭の馬連を買って応援しました。その後何度もルースリンドのレースを現地観戦しましたが先頭でゴールする瞬間とは縁がなく、それが引っ掛かってストゥディウムの応援には今のところ行ってません。東京ダービーもどうしようか悩んでますが、もし行って負けたらJDDは自宅観戦決定です(笑)。

    内田はスパーキングサマーカップや東京記念のインタビューでも「自分は跨っていただけでここまで佐藤さんが大事に育ててくれたおかげです」「佐藤さんが背中を押してくれました」と自分の手柄じゃないと強調するのが印象に残ってます。

    • はるかなる。 より:

      だんさくさん、コメントありがとうございます。

      自分が応援に行くと勝てないというのはありますよね(^^)
      僕の場合は、本命にすると飛んでしまうというパターンです。
      好きなのに相性が悪いというのは困りますね(^_^;)

      ストゥディウムは、ルースリンドの血を色濃く受け継いでいれば
      大井の2000mという舞台は合いそうですから
      東京ダービー(SⅠ)でも頑張って欲しいですね。

      内田博幸ジョッキーの
      スパーキングサマーカップ(SⅢ)後のコメントは印象的でした。
      アジュディミツオーやルースリンドなど
      南関の名馬の背中には佐藤隆ジョッキーの姿がありましたね。

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