マー君(田中将大投手)とフリオーソの持つ【3つの運】

マー君の持つ【3つの運】



2014年の4月。

元楽天ゴールデンイーグルスのエース・田中将大投手が

ニューヨーク・ヤンキースの一員として

トロント・ブルージェイズを相手に

敵地、ロジャース・センターで初勝利を挙げました。

その後も快進撃は続き

安定した内容で早くも二桁10勝をマークしています。

(※2014年6月15日時点)




田中将大投手ことマー君は

想像できないほどの努力を重ねているのでしょうし

熱い闘志を胸に投げ続けているのでしょう。

ただ、僕はマー君をというピッチャーが

ここまで抜群の存在感を誇っているのには

上記に挙げたことだけではなく

【3つの運】を併せ持っているからだと考えます。



1、高校時代からのライバル



1つ目は、高校時代からライバルがいたことです。

これに関しては、当人同士が

ライバルと思っていたかどうかは抜きにして

傍から見ればそういう風に感じられたということです。




北海道の駒大苫小牧高校のエースとして

2年生の夏の甲子園で優勝投手になり

チームも大会連覇を達成。

3連覇を目指した翌夏の甲子園でも

チームは競り合いを次々とモノにし

決勝の舞台まで勝ち上がりました。




その大舞台で顔を合わせた相手が

西東京代表の早稲田実業。

そこで、エースの斎藤佑樹投手こと佑ちゃんと

壮絶な投げ合いを見せました。

この試合は、延長15回引き分けの熱戦となり

この二人の名前は

一躍、全国に知れ渡ることとなりました。




結局、翌日行われた再試合でも

両投手の投げ合いとなり

4-3の最終スコアで

軍配は早稲田実業に上がりました。




勝ったのは早稲田実業であり、佑ちゃんでした。

ハンカチ王子と呼ばれた彼は

この夏の大会で、通算1.17という防御率で投げ抜き

同2.22だったマー君と比較しても

成績面でも一枚上の結果を残しました。




マー君から見れば

甲子園最後の大舞台で負けを味わったことになります。

負けず嫌いとして知られるマー君ですから

悔しくないわけがないですし

これは、その後の活躍にも

つながったのではないでしょうか。




そして、僕が考える1つ目の運というのは

勝った負けたに関係なく

この2人がライバル関係として

世間の注目の的になったことです。

これにより、プロ入り前から

マー君は光の当たる存在となったのです。



2、よく打つ打線



2つ目の理由は

これは周知の事実ですが

在籍しているチームの打線が

マー君が投げる時によく打つことです。

2013年は27試合に先発し

チームは1試合平均5.85点を奪いました。

これは目を見張る数字ですね。




米国に渡った今年は

13試合に先発登板し

チームは1試合平均4.69点を獲得しています。

これは少し少ないように感じるかもしれませんが

近3試合で3、2、4点と打線が湿りがちなだけで

今後また増える可能性が高いです。




ちなみに対照的なのが

同チームに在籍している黒田投手で

2013年は平均3.15点しか援護がなく

今年も4.16点に留まっています。

ちなみに以前在籍していたドジャース時代の

2011年も平均3.69点と低いものでした。




この打線がよく打ってくれる

打たれた時にもカバーしてくれるというのは

マー君の投球リズムが良いからとか

チームがエースに負けを付けたくないために

いつも以上に頑張るからとか

普段より注目される試合なので

選手個々が高いパフォーマンスを出そうとするからとか

いろいろと理由は考えられますが

僕はマー君が持ち併せている運のひとつだと思います。



3、持って生まれた体の強さ



最後の3つ目は、持って生まれた体の強さです。

大きなケガの少ない体を持っているというのは

勿論、マー君自身の想像を超える

努力の賜物だとは思いますが

それでもケガをしやすい選手が

毎年のように繰り返しケガをしてしまう中で

マー君は、毎年コツコツと投げ続け

ローテーションを守っています。




高卒1年目のルーキーイヤーでのデビューから

今年で8シーズン目になりましたが

マー君がケガで長期間、戦線を離脱したのは

2010年に右太もも裏を痛めたことと

右大胸筋の部分断裂というケガが相次ぎ

3ヶ月ほどローテーションに穴を開けたときくらいです。




それでも、2010年シーズンは

11勝を上げたわけですから

最低限の仕事はこなしたと

言えるのではないでしょうか。




以上に挙げた【3つの運】が

マー君という存在を

より際立たせているのではないかと考えます。




フリオーソの持つ【3つの運】



そして、これと同じように

【3つの運】を持った馬がいたのです。

それは、南関競馬・船橋所属のフリオーソです。



1、アンパサンドとトップサバトン



まず、1つ目の運は

学生時代からのライバルに関してです。

これは馬でいえば

3歳のクラシックシーズンにあたるでしょうか。

その頃の南関には3頭のスター候補生がおり

その1頭がフリオーソでした。

残る2頭は、ホッカイドウ競馬から移籍してきた

アンパサンドとトップサバトンです。




3頭が揃って顔を合わせたのは

2歳チャンピオンを決める

川崎の全日本2歳優駿(JpnⅠ)が最初で

このときは、フリオーソが優勝し

アンパサンドが3着、トップサバトンが4着でした。




2度目の対戦となる

クラシック第一弾の羽田盃(SⅠ)では

トップサバトンが激戦を制し

アタマ差2着にアンパサンド

クビ差3着にフリオーソが続きました。




3度目の対決となった東京ダービー(SⅠ)は

アンパサンドが先頭でゴールを駆け抜け

クビ差の2着がフリオーソ

トップサバトンは出遅れて8着と敗れました。




ここまで3つのGⅠレースで

3頭それぞれが頂点に立ち

3頭それぞれが苦渋を味わいました。

そして、勝負を決めるべく

ジャパンダートダービー(JpnⅠ)で

4度目の対決を迎えます。




ここで、フリオーソが

未来の化け物の片鱗を見せ

2着のアンパサンドに2馬身半の差をつけ

3着以下には、更に4馬身もの差をつける完勝で

ライバル関係に終止符を打ちました。

前走でリズムが崩れたトップサバトンは

見せ場なく10着と大敗を喫しました。




この後で、フリオーソは南関競馬を背負い

交流GⅠの顔として走り続けました。

一方で、アンパサンドはその後1勝のみに終わり

トップサバトンは未勝利で現役を退きました。

つまり、成長途上だったフリオーソが

ピークだったアンパサンドとトップサバトンを相手に

互角に渡り合っていたのですから

その強さには呆れるしかありません。




ただ、このライバル関係があったからこそ

フリオーソの素質が開花したといっても

言い過ぎではないと思います。

これは、マー君と佑ちゃんの関係に

よく似ていますね。



2、一強になることが多い



2つ目は、味方打線がよく打つということでしたが

これはつまり、自分に関わる周りの人が

協力してくれたということですから

フリオーソでいえば

出走するレースの周りの馬ということになります。




どういう事かというと

出走馬がレースの格と比較すると

思ったほど揃わないことが何度かありました。

これは、フリオーソの強さゆえに

戦う前から白旗を挙げてしまう陣営が

存在していたこともありますが

偶然が重なって有力馬が回避することもありました。

結果として、フリオーソの一強になってしまうレースが

いくつかあったのです。




例えば、2008年の帝王賞(JpnⅠ)は

2番人気がワンダースピードで

3番人気がボンネビルレコードでしたし

2009年のダイオライト記念(JpnⅡ)は

2番人気がマイネルアワグラスで

3番人気がロールオブザダイスでした。




そして、2011年の川崎記念(JpnⅠ)は

2番人気がボランタスで

3番人気がメイショウタメトモでしたから

これらのレースは

どれもフリオーソの一強でした。



3、持って生まれた体の強さ



最後に、3つ目の

持って生まれた体の強さについてです。

2歳でデビューしたフリオーソは

順調にレースを使われていました。

ケガが原因で長期間、戦線を離脱したのは

晩年の7歳になってからでした。

そのケガとは右前脚の屈腱炎でしたが

それも軽度のもので

引退する8歳の東京大賞典(JpnⅠ)まで

無理をさせないローテーションで走り続けました。




若い頃からライバルと鎬を削り

その後は、ヴァーミリアンやカネヒキリ

エスポワールシチーにスマートファルコンなどの

猛者たちと非常に高いレベルでの

レースを繰り広げていたのですから

歳を取れば、痛い所が出るのも自然なことでしょう。

持って生まれた体の強さがなければ

もっと早い段階で歪みが出ていたかもしれません。




実のところでは

その前に、左前の屈腱炎を

発症していたこともあったそうで

満身創痍の体だったそうです。

それでも、一流馬として輝き続けられたのは

周りの人の助けがあったからこそだと思います。

これはつまり、2つ目の運につながりますね。



マー君とフリオーソの持つ【4つ目の運】



このようにマー君とフリオーソは

【3つの運】を味方に

弛まぬ努力を重ねながら

他の人とは、他の馬とは一線を画した

高い位置まで駆け上がって行きました。




マー君は海を渡り

早くもヤンキースのエースとして

真っ向勝負のピッチングを披露しています。

一方のフリオーソは

海外挑戦こそありませんでしたが

対JRAという意味では

違うフィールドで真っ向勝負を挑み続けました。

マー君もフリオーソと同じように

ベテランになるまで一流のプライドを胸に

活躍して欲しいですね。




フリオーソは晩年

ケガと付き合いながらの競争生活だったことは

先ほど書きましたが

マー君も今後、少しずつ体にガタが出てくると思います。

それでもきっと

持って生まれた体の強さで跳ね返していくはずです。

ダメになりそうな時には

新たな【4つ目の運】が表面化してくるかもしれません。



参考にさせていただいたサイト

・激闘の記憶と栄光の記録

・びっくり競馬研究所 競馬ラボ





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毎日20時30分~21時頃に更新しています。





~2010年以降の的中率と回収率一覧~

2010年   的中率      不明    回収率   83.1%
2011年   的中率      不明    回収率   76.4%
2012年   的中率 21.3%  回収率  118.7%
2013年   的中率 26.6%  回収率  108.1%
2014年   的中率 23.0%  回収率  113.8%

(※2014年は6月8日時点のものになります。)


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